そもそもミイラが違う
子どもの頃、に限らず、自分の知らないことに関してはとんでもない想像や推測をしがちだ、という話のひとつなのだが、幼少期「ミイラ取りがミイラになる」という言い回しがどうもピンとこなかった。
念のため解説するとこういうことだ。
*「ミイラ」とは、屍体が乾燥などの条件により腐敗せずに残った状態のこと。乾燥地帯で亡くなった人の体が自然にミイラ化することもあれば、意図的に防腐処理をほどこし、ミイラ化させることもある。
*「腐らない」ということに不老不死のイメージが重なるせいか、ミイラを粉末化したものに薬効があるとして珍重され、高値で売れた時代があった。
*そのため砂漠地帯などにミイラを取りに行く人もいたが、ミイラができる自然環境もミイラが保存されている場所もたいてい(いろいろな意味で)過酷な条件下にあるため、意志を貫徹できないまま息絶えて自分がそのままミイラ化するという皮肉な事態もあった(かどうか知らないが、あったのではないかと思われていた)。
*転じて、遊びに行ったまま帰ってこない人を探しに行った人が一緒になって遊んでしまってやはり帰ってこないだとか、人を説得するために赴いたのに自分が説得されてしまうだとかいうケースを、「ミイラ取りがミイラになる」と表現するようになった。
改めて、こんな複雑な背景や経緯が子供にわかるわけがない。
ちなみに私が子供の頃に思い描く「ミイラ」といえばこれだった。
そもそもミイラが違う。
防腐処理を施された屍体という知識はなく「妖怪」「怪物」の一種である。
それでもって、「ミイラ取り」はこんなの。
ボーイスカウトの遠足かなんかと間違ってるんじゃないかとか、
虫取り網じゃミイラ取れないだろうとか、
思うところはあるが、当時の記憶をなるべく忠実に再現しているだけである。ちなみに、google画像検索で「探検家」と入れると、似たような服装のキャラクターが多数出てくる。「探検家」=「ミイラ取り」なのかという問題はさておき、砂漠へ行く人のイメージとしては、案外一般的なものなのかもしれない。長袖長ズボンの方がいいんじゃないかと思うが、どうなんだろう。
もう少し大人(といっても10歳前後)になって「ツタンカーメンの呪い」について初めて知った頃も、「ミイラ」のイメージが上記のものと混乱していたため、「呪いとか以前にミイラが発見される時点で怖いのでは?」とか、「めずらしい彫刻とか宝石とかならともかく、ミイラ取って何が面白いんだ?飼うの?」とか、わからないことが多すぎた。上の「ミイラ取り」は空虚な表情も含めて当時のイメージのままである。嬉々として意味のわからないことをする大人を、自動的に「レゴの人」みたいな一律で動きのない表情に置き換えて認識するという癖が私にはあった。
そして、どうやってミイラ取りがミイラになる!?
というのが大問題だが、私がとっさに出した結論は「ミイラって伝染性なのか」というものだった。
ドラキュラが吸血のために人間の首筋を噛むと噛まれた人間も吸血鬼になる、みたいな現象が起こるため、ミイラと対決したミイラ取りがあえなく破れるとその後、ミイラにされてしまうのかと。
ミイラは口がどこにあるのかよくわからないので、噛むのではなくてこんな技を使うのだろうと想像していた。
ミイラ、おそろしい〜!!
という思い出である。
しかしその後ずいぶん長く生きているのに、不思議なことがさっぱりなくならないから不思議だ。
今の自分の中にももちろん、何かしらのトンデモイメージがあり、もう少し賢くなったらものすごく面白く感じるのだろう。これは時間差がないと楽しめないことだ。ということは、死ぬ時に脳内にとんでもなく面白い勘違いを残して死んでいくのだ。
と思うとちょっともったいない。