「歩きスマホ」がますます問題化している
英語では、スマホをしながら歩く姿がゾンビのようだということで”smartphone zombie” (スマートフォン・ゾンビー)略して”smombie”(スモンビー)と呼ばれているそうだ。
このゾンビ続出現象を「ポケモンGO!のせいにする人」なんか、そろそろ出てくるぞ、などと思いもしないうちに、それこそもうゾンビのごとくゾロゾロ出てきている始末だ。
新しいものが出てくると必ずそれを危険視したり、それによって失われるもの・もしくは関連性は定かでないがすでに失われつつあるものを惜しんで「嘆かわしい」と大騒ぎする人がいるのが人の世のことわりだ。テレビやゲーム、携帯電話やインターネットは定番の悪役であるが、「印刷」や「写真」、「電気」「水道」「農耕牧畜」「衣服」などもかつては嘆きの種を与えてきたのかもしれない。
それに対して「道具はしょせん道具、要は使う人の問題だ」と応じる人々の言い分ももはや様式美。ツーといえばカー。みんな仲良しで微笑ましいが、毎度のことでちょっと飽きてくる。
さて私は、「ゲームに熱中するより現実世界にある素晴らしいものを生きているうちにもっと味わうべきだ」という意見に対しては、わりと「ゲームだって生きてないとできないのだ、大きなお世話だ」と思うほうである。
しかも「歩きスマホ」はスマホさえなければちゃんと前を向いて歩くはず、という前提のもとに問題視されているわけだが、私なんかぼんやり考え事やら妄想をしながら歩いてしじゅう壁や電柱にぶつかっているから、手ぶらでも十二分の危険さだ。こういうスマホいらずの猛者がいることも忘れてはならない。
が、実際問題、歩きスマホが危ないことには変わりがない。
だったら歩きスマホ、「スポーツ」にすればいいんじゃないかと思う
エクストリーム・アイロニングまたはエクストリーム・アイロン掛けというスポーツがある。極限的な状況でアイロン掛けをするというものだ。
スポーツと呼ぶべきかについては議論があり、あれはただの冗談だという意見もあるようだが、こんなことをするのだから、
写真:英語版wikipedia Theredrocketさん( CC 表示-継承 3.0)
スポーツじゃなければ一体何なのだと問いたい。
スポーツといえば文句のつけようもなく健全なものである。
スポーツマンシップにのっとって正々堂々とルールを守って行ったりなんかするのが、スポーツだろう。
スポーツに何の興味もないことが全方位的に露呈した雑な言いようが我ながら清々しいほどであるが、「エクストリーム・歩きスマホ」または「エクストリーム・スモンビー」もスポーツにすればいい。
街中や電車のホームではなく、スポーツジムで!海で!大波に乗りながら!山で!岩を登りながら!行うために訓練に励めば、みんな健康になって、歩きながらスマートフォンを見るにも節度を保ち、技術も向上して事故が起こらなくなるだろう。すごくいいアイディアだと思うが、どうだろうか。